二人はその後、夜ごと管弦などして遊んだ。


若君の父・得業(とくごう)は

「素性も知らぬ人に慣れ親しんでは・・・」

と気にかけつつも、侍従の君の人柄を聞いて許したので、誰はばかることもなくなった。


夢のような満ち足りた日々に、二人の心はさらに深く結びつくのであった。



管弦

やがて、比叡山の律師より、侍従の君に

「相談したいことがあるので、急ぎ帰山するように」

との手紙が届いた。


不満に思うが、師の言葉を聞かぬわけにはいかない。

若君には、すぐに下山する旨を言い置いて

侍従の君は、白河を後にした。



  


比叡山に帰ってからも

侍従の君は若君のことが気にかかり、物思いに沈んでばかりいた。

すぐにも下山したいが、寺の諸事をおろそかにできず、力及ばぬまま四、五日が経った。


ついに心を抑えがたく、すべてを振り捨てて白河へ下った。

が、かの邸へ着くと人気がない。

留守居の者に聞けば、若君の一行は今朝がた奈良へ出立したとのことであった。


侍従の君は、釣り船を流してしまった漁師のような心地で

無念なことはとても言葉で言い尽くせない。

「次の御上洛はいつ?」

と問うが、留守居は何も知らない。



残り香

前栽(花壇)に咲く、藤袴の花の香りがただよってくる。

紀貫之の歌 「宿りせし 人のかたみか藤袴 忘られがたき香ににほひつつ」 を思い

若君の残していった香りを偲ぶ。


「若君に仕えている童が、比叡山のお方の御宿坊はどこか

若君の手紙を届けねばと尋ねていましたが

誰も知らないので、がっかりして奈良へ下っていきました。

どうして、昨日でも一昨日でも、今少し早くおいでにならなかったのか」

と、留守居は残念がる。


侍従の君は、悲しみのあまり目の前がまっくらになった。

一両日は在京して、若君の消息を尋ねさせたが、何の知らせもない。


侍従の君は落胆し、比叡山に帰った。

夜明けを待たずに消えてしまう月の光さえ、恨めしいほどであった。



月影



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