比叡山の春

比叡山の律師には、たくさんの弟子がいた。

が、法灯を継げる(後を継げる)ほど優秀な者はいなかった。


少年と対面した律師は、彼が見目姿にすぐれ、心根も上品で賢いことにすっかり満足した。

まわりの者もこぞって彼を気に入り、大切にした。


少年は、詩歌だけでなく、管弦(音楽)も巧みであった。

得意の横笛を吹いて聴かせると

たえなる調べが、春のうららかな風にのってあたりに響き

さながら仏国土にいるかのごとくである。


律師は、この子はまさに天からの授かりものと、ありがたく思うのであった。



比叡山と琵琶湖

教養豊かな少年はまた、比叡山の自然の中で、折にふれて和歌や古典の世界に思いをはせる。

氷とける春の日には、大江匤房が琵琶湖の風物を詠んだ

「こほりゐし 志賀の唐崎うちとけて さざなみよする春風ぞ吹く」 の歌を思い


香炉峰の雪

比良の高峰に雪の積もる冬の朝には

簾をかかげて香炉峰の雪を見る、白楽天の故事に親しみ

一日たりとも、退屈する日はなく過ぎていった。



  


三年が経った。


少年の父は、わが子の出家が遅いことを、本来の志にそむいていると

しきりに出家を促してきた。


律師は、いましばらくこのままにと思うものの、やがて決意した。

そうして、落飾した彼は、「侍従君玄怡(じじゅうのきみ げんい)」と名付けられた。


侍従の君2

侍従の君は、律師の教えにしたがい、ますます修学に励んだので

ほかに肩をならべる人がいないほどであった。




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